WEKO3
アイテム
心は身体ぬきで存在できるか
http://hdl.handle.net/10458/3498
http://hdl.handle.net/10458/3498adf05b73-21a1-4912-b47d-aabf1703d048
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
|---|---|---|
|
|
|
| Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 公開日 | 2011-10-18 | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | 心は身体ぬきで存在できるか | |||||
| 言語 | ja | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | Can the Mind Exist without the Body? | |||||
| 言語 | en | |||||
| 言語 | ||||||
| 言語 | jpn | |||||
| 資源タイプ | ||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
| その他(別言語等)のタイトル | ||||||
| その他のタイトル | ココロ ワ シンタイ ヌキ デ ソンザイ デキルカ | |||||
| 言語 | ja-Kana | |||||
| 著者 |
伊佐敷, 隆弘
× 伊佐敷, 隆弘× 伊佐敷, 隆弘 |
|||||
| 抄録 | ||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||
| 内容記述 | 「心の存在は身体の存在に依存しない」(心の独立性)というデカルトの議論の妥当性を検討する。まず,心の独立性が含意すること(死後の生の可能性)と含意しないこと(死後の生の確実性・魂の不滅)を明らかにする。(第1条)。デカルトの論証は,「方法的懐疑」→「私は考える,ゆえに私は存在する」→「考えることだけを本質とする私」→「心は物質なしで存在できる」と進む。(第2節)。この論証は「想定可能性から存在可能性への推論」として定式化できるが,この推論をデカルトは「神の全能性」に基づいて正当化する。(第3節)。しかし,「心の本質は『考えること』だけだ」ということは,「私が生きているこの現実世界において,私の心の存在がたまたま身体の存在に依存している」可能性を排除するには不十分である。可能性には,現実世界の持つ特徴に依存した可能性である「強い可能性(現実的可能性・潜在的可能性)」と単なる無矛盾性としての「弱い可能性(概念的可能性)」の2種類があるが,想定可能性から「私の心が身体に依存せずに存在できる」という強い可能性を導くことはできない。(第4節)。 | |||||
| 言語 | ja | |||||
| 書誌情報 |
ja : 宮崎大学教育文化学部紀要. 人文科学 en : Memoirs of the Faculty of Education and Culture, Miyazaki University. Humanities 巻 25, p. 1-17, 発行日 2011-09 |
|||||
| 出版者 | ||||||
| 出版者 | 宮崎大学教育文化学部 | |||||
| 言語 | ja | |||||
| 出版者 | ||||||
| 出版者 | The Faculty of Education and Culture, University of Miyazaki | |||||
| 言語 | en | |||||
| ISSN | ||||||
| 収録物識別子タイプ | ISSN | |||||
| 収録物識別子 | 13454005 | |||||
| 書誌レコードID | ||||||
| 収録物識別子タイプ | NCID | |||||
| 収録物識別子 | AA11403241 | |||||
| 著者版フラグ | ||||||
| 出版タイプ | VoR | |||||
| 出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||