@article{oai:miyazaki-u.repo.nii.ac.jp:00001223, author = {伊佐敷, 隆弘 and Isashiki, Takahiro and 伊佐敷, 隆弘 and Isashiki, Takahiro}, journal = {宮崎大学教育文化学部紀要. 人文科学, Memoirs of the Faculty of Education and Culture, Miyazaki University. Humanities}, month = {Sep}, note = {「心の存在は身体の存在に依存しない」(心の独立性)というデカルトの議論の妥当性を検討する。まず,心の独立性が含意すること(死後の生の可能性)と含意しないこと(死後の生の確実性・魂の不滅)を明らかにする。(第1条)。デカルトの論証は,「方法的懐疑」→「私は考える,ゆえに私は存在する」→「考えることだけを本質とする私」→「心は物質なしで存在できる」と進む。(第2節)。この論証は「想定可能性から存在可能性への推論」として定式化できるが,この推論をデカルトは「神の全能性」に基づいて正当化する。(第3節)。しかし,「心の本質は『考えること』だけだ」ということは,「私が生きているこの現実世界において,私の心の存在がたまたま身体の存在に依存している」可能性を排除するには不十分である。可能性には,現実世界の持つ特徴に依存した可能性である「強い可能性(現実的可能性・潜在的可能性)」と単なる無矛盾性としての「弱い可能性(概念的可能性)」の2種類があるが,想定可能性から「私の心が身体に依存せずに存在できる」という強い可能性を導くことはできない。(第4節)。}, pages = {1--17}, title = {心は身体ぬきで存在できるか}, volume = {25}, year = {2011}, yomi = {イサシキ, タカヒロ and イサシキ, タカヒロ} }