@article{oai:miyazaki-u.repo.nii.ac.jp:00006752, author = {Fukami, Shohei and 深見, 奨平 and Fukami, Shohei and 深見, 奨平}, journal = {宮崎大学教育学部紀要, Memoirs of the Faculty of Education, Miyazaki University.}, month = {Mar}, note = {教育学は実践の学であると広く認識されているにもかかわらず、教育学において「実践」とは何を意味するのかという問いは看過されてきた。この問いに対する教育哲学的探究の基礎的段階として、本稿は、「実践」概念についての総合的な議論を展開しているアメリカの哲学者R. J. バーンスタインの『プラクシスと行為』(1971)を対象とした考察を行った。とりわけ本稿では、マルクスの革命的プラクシスと実存主義の決断・選択としての行為が扱われている章に焦点化を当てた。その結果、哲学的な意味での「実践」は、主体が現在の自己疎外の状況を乗り越えて新たな自己や社会的環境の創造を目指すという否定性を媒介とした弁証的プロセスを経ること、そのプロセスが終結する究極目的があるという保証はないということ、それゆえ実践主体は常にある種の実存的不安を伴っていること、実践を知性的に導くとされる哲学的理論もまたその弁証的プロセスの内側にある一つの実践であることが明らかになった。また、これらの哲学的知見から教育学に対する一つの示唆としては、教育学者は学校教員が意識している否定性や実存的不安を同じ一人の教育者として共有することができ、それゆえ教育学者が行う教育学という実践は学校における教育実践へのアクチュアリティをもちうるというものである。}, pages = {1--20}, title = {R. J. バーンスタインの『プラクシスと行為』における「プラクシス」のマルクス哲学的意味 ― 教育学における「実践」の概念的分析に向けた基礎的考察 ―}, volume = {100}, year = {2023}, yomi = {フカミ, シヨウヘイ and フカミ, シヨウヘイ} }