@article{oai:miyazaki-u.repo.nii.ac.jp:00001238, author = {伊佐敷, 隆弘 and Isashiki, Takahiro and 伊佐敷, 隆弘 and Isashiki, Takahiro}, journal = {宮崎大学教育文化学部紀要. 人文科学, Memoirs of the Faculty of Education and Culture, Miyazaki University. Humanities}, month = {Mar}, note = {「自然の斉一性」とは「自然は,場所の違い・時間の違い・経験の有無によらず,同じ法則に従っている」ということであり,人間の知識の蓄積を可能にする暗黙の前提である。この暗黙の前提に根拠はあるのか。あるとしたら,何が根拠か。(第1節)。 自然の斉一性は「空間的斉一性」「時間的斉一性」「認識的斉一性」の3種に区別できる。空間的斉一性の根拠は「説明の良さ」(単純性・包括性・説得力など)であり,認識的斉一性の根拠は「自然の認識からの独立性」である。(第2節)。時間的斉一性はさらに「過去に関する斉一性」と「未来に関する斉一性」とに区別できる。過去に関する斉一性の根拠は「説明の良さ」であるが,未来に関する斉一性の根拠はない。なぜなら,第一に,「既に過去になってしまった未来」の斉一性から「まだ過去になっていない未来」の斉一性を導くことは循環論証であり,第二に,未来に関しては説明の対象たるデータ(出来事個体)自体が存在しないからである。(第3節)。また,帰納の正当化に関する3つの提唱(メラーの外在主義的正当化・ライヘンバッハの実践的正当化・ストローソンの意味論的正当化)も,未来に関する斉一性の根拠としては不十分である。(第4節). しかし,今目の前にある物が「何であるか」は,その物が「これから(即ち未来に)どう振舞うか」を含んでいる。経験が消滅的・時間的であるのに対し,知識は持続的であり時間を超えようとする。未来に関する斉一性は知識が成り立っための条件であり,斉一的でない世界を連合的に知ることは人間には不可能である。しかし,未来が実際には斉一的でなく人間の知識が成り立たなくなる可能性は常に残っている。(第5節)}, pages = {1--24}, title = {自然の斉一性について}, volume = {24}, year = {2011}, yomi = {イサシキ, タカヒロ and イサシキ, タカヒロ} }